3.11 あの時の東京と私。
ああ、今日は3月11日。
忘れもしない、6年前の今日、私は東京に住んでいた。
その日は金曜日。私は仕事を休んでいた。
少し前から非常に体調を崩し、精密検査を受けに総合病院通いをしていた。
午前中、病院へ最終の結果を聞きに行き、そのあと予約していた初めてのスマートフォンを手に入れ、午後からマンションの避難梯子の点検が来る、という予定の1日だった。
朝一で行った病院を出たのは12時。
身体中倦怠感で動くのもシンドイのに、精密検査結果は、異常なし。
危うく心療内科を紹介されかかり、ゲンナリしつつ病院を後にした。
そのまま近くの家電量販店へ。
初めてスマートフォンを手にした。
小ぶりなスマートフォンの発売を待って予約したと記憶している。
初めてのスマートフォン。初めてのワンセグ。
使い方も分からぬまま、少し浮かれ気分で店を出た。
避難梯子の点検は15時半から。
時間はまだあるし、少し遊んで帰ろうと思っていたのだが、体調がドンドン悪くなり、耐えられずに急かされるようにうちへ帰った。
うちへの到着時間は14時過ぎ。
すぐにスマートフォンの説明書を読み始めた。
む、難しい。
ナニコレ、まるで分からんよ・・とかそんなことを考えていたと思う。
地震が来た。
退路確保!と言いつつ、窓を開けた。
この辺りまでは、冗談半分だったと思う。
ぐらんぐらん、と表現したくなるような恐ろしい揺れが始まった。
ものすごく、長く感じた。
はっと気づき、ガスの元栓を閉めた。
そして、財布と携帯を握りしめて外へ飛び出した。
揺れがおさまるまで動くな、とかそんなマニュアルはまるで思い出さなかった。
揺れて真っ直ぐ歩けない非常階段を手すりを持ちながら降りた。
外に出ると、アスファルトが海原のように、波打っていた。
声も出なかった。
呆然と波打つアスファルトを眺めた。
揺れが少しおさまるのを待って、近くのコンビニに駆け込み、お金をおろし、水とカロリーメイトを買った。
うちに帰り震える手でワンセグの設定をした。
焦っていたと思う。
どうやって設定したのかまるで覚えていない。
ただ、初め見たワンセグの映像は、人が津波にのまれていくものだった。
ナニコレナニコレナニコレ。
誰にかけても電話は繋がらず、テレビもラジオも持たない私にとって、世界と自分をつなぐ唯一のものがワンセグだった。
その唯一の希望が、絶望をくれる。
何が現実なのか、うまく理解できなかった。
その頃、融通のまるで効かなかった私は、夜はお風呂に絶対入らねばならないと思い込んでいて、怖くて震えながら髪を洗った。
生まれて初めてダウンを着て寝た。
ちゃんと眠れはしなかった。
恐ろしいほどの孤独と無力感の中にいた。
夜、おかんと電話がつながった。
「生きてるから」
万感の思いを込めて言った。
「は?なんの話?」
おかんはポカンとした声で聞き返した。
「東京、地震きたんよ!知らんの?」
1人で泣きたかった私は八つ当たりのように噛み付いた。
おかんにとっては、東京と東北はすごく離れている、という認識だったようだ。
大病に違いないと数ヶ月精密検査に通った身体中を襲う倦怠感はなくなっていた。
そんな3月11日。
この世に絶対など何1つない。
毎日が一期一会。