あきんど、文字を書く。
皆思慮深いからか、遠回しだ。
でもFB上で緩くつながっている特定の誰かの悪口なのだ。
緩くつながったFB上のグループ内で、この手の悪口はあっという間に拡散される。
「これって、〇ちゃんのことだよね」
四面楚歌作戦 と名付けよう。
と似たようなことはFB上でもある。
毎日素晴らしく素敵に作りこんだ自撮り写真を上げる人がいる。
自己卑下の一言とともに。
あきんど、旅に出る。すぐそこ。
お友達から「今日ひまー?」と連絡がきた。
暇だが、ひまじゃない。
今日のあきんどにはノビー(_ _).。o○(´-`).。oO・・・とする、という重大な任務がある。
たとえヤリが降ろうと「この藤吉郎、決して殿のおそばを離れませぬー!」という勢いでストーブとソファにへばりつき、この任務を遂行せねばならぬ。
そんな任務遂行中の我にどこへ行けと??
「電車の旅」とか「もみじの天ぷら」とか言われても、そんな誘惑に負けはせぬ。
てか、「もみじの天ぷら」って、心惹かれんフレーズやな。
うまいんか、それ??
だいたい、目的地
「箕面」
って、どこやねん。読めんし。
ノビー(´-`).。oOと任務遂行しつつ、Google先生に問い合わせ。
おお、滝があるでござる。
窓を開ける。意外とぬくいでござる。
致し方なし。
ノビー(_ _).。o○の任務を滝のそばに変えるでござる。
藤吉郎、臨機応変が信条でござる。
なんと、ええトコやん。人がおらんし。
滝に虹が出てるやーん。
箕面(みのお)。
観光地がこんなに閑散としててここの者共の暮らしは大丈夫か、と不安になる。
どうやらもみじの時期には芋洗いのような混雑らしいが、それ以外の時期はこんなものらしい。
俳句の季語「山眠る」を思い出す静けさでなかなか良い。
珈琲やの片隅で箱に入れられたぬいぐるみが異土のかたいのようでいっそう憐れを誘う。
そんな中、異彩を放つカレー屋さん。
朝挽きカレーってなんやねん。
・・・驚きの美味しさでございました。
眠っている山も目覚めるスパイシーな香りとコク。
複雑な香りのコラボレーション。
おお、これぞ、まさしく、香りのハーモニー!!!!とか神の雫あたりで、言っていそうな、お味。
付け合わせのチャッツネっぽいものも、美味しい。
このために再びこの地を訪れても良い、というお味。
梅田から25分。
こんなところに、こんなものが。
大阪、なかなか奥深し。
あきんど、空を飛ぶ。
タマシイと肉体が乖離しやすい人と、そうでない人。
人には2種類いる。
タマシイと肉体は乖離する。
元々、別のものなのだと思う。
ただし、全く別のもの、ではないが。
タマシイは肉体という不自由にいる事で、多くの学びを得る。
不自由さを感じる事でしか、学べないものがあるのだと思う。
肉体を持ち、自分の肉体と向き合い、酷使し、時には大切にし、何かを掴む。
体験、体で験す(ためす)ことからしか掴めないものが、ある。
人はこの不自由さの中に、自由を見つける。
有限の中の無限。
おそらく、不自由を通してしか掴めない、自由、がある。
日本の「道」はこうして、作法や演武といった形式の中で無限の宇宙を表現するに至ったのだと思う。
が、時に、この肉体の不自由が、心まで不自由にしてしまうことがある。
縛られる必要はまるでないところで、囚われ、心が身動き取れなくなってしまうことがある。
よくよく見つめてみると、大抵縛り付けているのは自分自身の心だ。
自由なはずの心は気がつけば自分自身が縛り、不自由になっている。
常識だったり、世間体だったり、義務感だったり。
みんな本当はどうすれば自分の心が解放され、自由になるかを知っている。
これは非常識になれ、とか、義務を果たさなくてもいい、という意味ではない。
それを自分が踏み出さない言い訳に使うな、という意味。
タマシイはもっと自由になれる。
人はみんな、空を飛べる。
3.11 あの時の東京と私。
ああ、今日は3月11日。
忘れもしない、6年前の今日、私は東京に住んでいた。
その日は金曜日。私は仕事を休んでいた。
少し前から非常に体調を崩し、精密検査を受けに総合病院通いをしていた。
午前中、病院へ最終の結果を聞きに行き、そのあと予約していた初めてのスマートフォンを手に入れ、午後からマンションの避難梯子の点検が来る、という予定の1日だった。
朝一で行った病院を出たのは12時。
身体中倦怠感で動くのもシンドイのに、精密検査結果は、異常なし。
危うく心療内科を紹介されかかり、ゲンナリしつつ病院を後にした。
そのまま近くの家電量販店へ。
初めてスマートフォンを手にした。
小ぶりなスマートフォンの発売を待って予約したと記憶している。
初めてのスマートフォン。初めてのワンセグ。
使い方も分からぬまま、少し浮かれ気分で店を出た。
避難梯子の点検は15時半から。
時間はまだあるし、少し遊んで帰ろうと思っていたのだが、体調がドンドン悪くなり、耐えられずに急かされるようにうちへ帰った。
うちへの到着時間は14時過ぎ。
すぐにスマートフォンの説明書を読み始めた。
む、難しい。
ナニコレ、まるで分からんよ・・とかそんなことを考えていたと思う。
地震が来た。
退路確保!と言いつつ、窓を開けた。
この辺りまでは、冗談半分だったと思う。
ぐらんぐらん、と表現したくなるような恐ろしい揺れが始まった。
ものすごく、長く感じた。
はっと気づき、ガスの元栓を閉めた。
そして、財布と携帯を握りしめて外へ飛び出した。
揺れがおさまるまで動くな、とかそんなマニュアルはまるで思い出さなかった。
揺れて真っ直ぐ歩けない非常階段を手すりを持ちながら降りた。
外に出ると、アスファルトが海原のように、波打っていた。
声も出なかった。
呆然と波打つアスファルトを眺めた。
揺れが少しおさまるのを待って、近くのコンビニに駆け込み、お金をおろし、水とカロリーメイトを買った。
うちに帰り震える手でワンセグの設定をした。
焦っていたと思う。
どうやって設定したのかまるで覚えていない。
ただ、初め見たワンセグの映像は、人が津波にのまれていくものだった。
ナニコレナニコレナニコレ。
誰にかけても電話は繋がらず、テレビもラジオも持たない私にとって、世界と自分をつなぐ唯一のものがワンセグだった。
その唯一の希望が、絶望をくれる。
何が現実なのか、うまく理解できなかった。
その頃、融通のまるで効かなかった私は、夜はお風呂に絶対入らねばならないと思い込んでいて、怖くて震えながら髪を洗った。
生まれて初めてダウンを着て寝た。
ちゃんと眠れはしなかった。
恐ろしいほどの孤独と無力感の中にいた。
夜、おかんと電話がつながった。
「生きてるから」
万感の思いを込めて言った。
「は?なんの話?」
おかんはポカンとした声で聞き返した。
「東京、地震きたんよ!知らんの?」
1人で泣きたかった私は八つ当たりのように噛み付いた。
おかんにとっては、東京と東北はすごく離れている、という認識だったようだ。
大病に違いないと数ヶ月精密検査に通った身体中を襲う倦怠感はなくなっていた。
そんな3月11日。
この世に絶対など何1つない。
毎日が一期一会。
汝の名は、おかん!
汝の名は、おかん!!
先日友人に、「おかんってどうしてあんなに非論理的なんだろう」・・と愚痴ったら「それは、おかんだから!」と返された。
そう。おかんだから。
おかんとは非論理的で支離滅裂な生物なのだ。
昨夜別の友人から電話があった。「おかんってどうしてあんなに理不尽なんだろう」と。
私はもちろん、返した。
「それは、おかんだから!」
おかんとは理不尽な生物なのだ。
ちなみにどこら辺が、と思うだろうが、
日々の言動が。
おかんは、息をするように、非論理的で、理不尽で、支離滅裂なのだ。
たとえば
「二人(一人だと)だと、ご飯が余って仕方がないの、食べててくれん・・」
と言われ、ちょっと無理して片付けたら(腹へ)、
「まあ、あんた!そんなに食べてどうするん!?」
と家の裏に毛虫がおった、くらいの勢いで、責め出す。
・・・あんた、数分前に片付ける為に食べろとゆうたやないけ・・・。
ということを、日常茶飯事で起こす。
そもそもおかんは権威に弱い。
「先生がこういったから!」
「NHKがああいったから!」
「新聞がこういったから!」
が意見の指針になる。
ちなみに、「先生」とは決して政治家のことではない。
「その道の権威」のこと。
「〇〇の専門家」が大好き。
うん。まあ、その道の専門家の言葉は重みがあるけどさ。
ちなみに。
その大好きな専門家の言ったことですら、すぐに忘れ、他の専門家の言葉で上書きされることもある。
とつぜん。
数日前と真逆のこと をあたかも自分の意見のように言い出す。
前の意見は上書きされているので、もちろんおかんの中では抹消され、残っていない。
ある意味、ハムスターのようだ。
(ハムスターって餌食べている最中におどかすと、餌をポロリと落とし、餌を食べていたことを忘れて別のことを始める)
何の前触れもなく、唐突にパニックになる。
巨大地震に備えてシェルター作る!
とか訳わからんことを唐突に言い出す。
私はこれを
間欠泉、と名付けた。
そう、世のおかんは間欠泉、なのだ。
唐突に熱湯と冷水を交互に吹き出す。
これをタライでよけて知らんぷりしようものなら、
今度は噴火する。
被害甚大。
そんなわけで、タライとミノガサを駆使しつつ、
やけどしない程度に浴びる、のが良い。
そういや、昔、亭主元気で留守がいい、ってCMがあった。
あれも真理だが、
これも、真理。
おかん、遠くで元気がいい。
あきんど、若人(わこうど)を諭す。②
あきんど、管理部門歴20年超。
もともと、悩みや愚痴を聞く事が多い。
みんな、いろいろ悩むんだね。
いや、あきんども悩むんだけど、長続きしないっていうか・・・。
人同士の悩みの根幹はだいたい、いつも、同じ。
「どうして!」。
泣きながら、怒りながら、みんな、同じことを言う。
「どうして!」。
今回はその中の
「どうして分かってくれないの!!??」。
にフォーカス。
どうして!どうして!どうして!
「どうして、分かってくれないの!?」
みんな、相手がしてくれない事ばかり責める。
大抵、相手が自分を 分かってくれない、理解してくれない、と、言う。
あのね。
あなたは、相手を分かっているの?
あなたは、相手を理解しようとしたの?
あなたは、どこまで相手を分かっていると思う?
人と自分は合わせ鏡 なんだと思う。
相手を理解しようとする人の周りには、相手も理解しようとする人が集まり、
相手の事を「理解してくれない」と責めるばかりの人の周りには、同じように責めるばかりで、相手を理解しようとしない人が集まる。
もし。
自分の周りには自分を理解してくれる人がいない!
と思っているのならば、
多分、それは、
あなたが、相手を理解しようとしていないから。
周りに理解者がたくさんいる人を見てみると良い。
その人はきっと、相手のことを理解しよう、と思いやっている。
あなたが、
相手がしてくれないコトばかり責めるのをやめて、
「こんなにしてあげてるのに!」と自分が行ったと思っている善行を振りかざすのをやめて、
ほんの少し、愛をもって相手の事を理解しよう としたら。
たぶん、人間関係は今よりも、うまくいく。
あなたは今よりも、幸せ になれる。
あなたの幸せは、あなた自身から始まる。
大丈夫。
あきんど、若人(わこうど)を諭す。①
あきんど、管理部門歴20年超。
もともと、悩みや愚痴を聞く事が多い。
みんな、いろいろ悩むんだね。
いや、あきんども悩むんだけど、長続きしないっていうか・・・。
人同士の悩みの根幹はだいたい、いつも、同じ。
「どうして!」。
泣きながら、怒りながら、みんな、同じことを言う。
「どうして!」。
どうしてそんな風に言うの。理解できない。
どうしてそんなことするの。信じられない。
こんなに苦しんでいるのに、どうして分かってくれないの。
どうして!どうして!どうして!
世の中には、どうやっても折り合いをつけにくい人がいる。
ワザとか!と言いたくなるくらい、こちらがムカつくことばかりする人がいる。
あのね。
相手も同じようにムカついているから、大抵。
あなたがものすごくムカついて、どうして!どうして!何でこんなに無神経なのよ!
と思っているのだとしたら、相手も同じように、「どうして!」と思ってるから。
だって、「ムカつく!」と心で叫んでるんでしょ。
聞こえてるから、それ。
テレパシーなんかなくたって、聞こえるから、強い感情って。
もしあなたが「どうしてあんなに、自分勝手で自己中心的なのよ!」と思ってるとしたら、
相手も同じように「何であいつはあんなに自己中心的で人の話を聞かないんだ!」と思っているから。
人とは恐ろしいほどに、自分の立ち居地が正解で、正論で、正義だ!と思い込みやすい。
自分の主張が「だってこれが常識でしょ!」という意識に囚われやすい。
ねえねえ。
その「正義」と「常識」、ホント?
たぶん、あなたはここで自分の主張の正しさについて、「当たり前でしょ!」と思う。
あのね。
どちらが正しくても、どっちでもいいの。たいしたことではないの、それは。
肝心なことは、「目的は相手を打ち負かすことじゃない」と思い出すこと。
もしここで、あなたが相手を打ち負かせたとしよう。
正義と常識を掲げ、相手を叩き潰したとしよう。
何が残ると思う?
達成感?爽快感?あなたの中にはそうかもしれないね。
では、相手の中には?
憎しみや恨み、といった負の感情が一層大きくなると思わない?
そしてね。
人って、必ず、間違えるんだ。
あなたが間違えた時に、相手はさらに大きな正義と常識を掲げてあなたを叩き潰そうとするよ。
だって、憎しみと恨みでいっぱいだもん。
楽しい、それ?
あなたがムカつく相手は、仕事の相手かな?パートナーかな?お友達かな?
あなたは、その人を打ち負かすこと、が目的なんかじゃない。
ホントはあなたの心はそれを良く知ってる。
あなたの「ムカつく!ムカつく!どうして!どうして!」という心の叫びは、
ホントは、その人とどうやったら手を取り合えるか分からなくて、グルグル悩んで、相手が悪いことにしてしまおうとしているだけだ。
まずは。
その武器を下ろしてごらん。
武器なんて持ってない、と思ってる?
あなたのその
「ムカつく!ムカつく!どうして!どうして!」
は、ものすごく攻撃力のあるトゲを持った武器だから。
それを、やめてごらん。
自分とは異なる価値観を持つ相手とめぐり合えた奇跡をラッキーだと思ってごらん。
まずは、それが第一歩。
あなたが変われば、相手はきっと変わるから。
続きはその一歩を踏み出してから。
まず、一歩。