ナニワあきんど1年生。

立派なナニワあきんどへのへぼへぼ道。

あきんど、文字を書く。

あきんどの中では、SNS上で、人様から「読みたい」と思ってもらえる文章を書く上での禁忌、だと思っていることがある。
 
それは、
①特定の人に媚びること
②人の悪口を書くこと
③自己卑下(誉め言葉強要)すること
④自慢話をすること
 
SNSの使い方は人によって異なるが、特定の人と緩くつながり、複数のグループが存在する。グループの中の一部がつながることもあれば、全く縁遠いものもある。
 
突然親しくなったり、また縁遠くなったりする人もいる。
それも縁だったり、運だったりするから、していただいた恩は恩としていただき、感謝し、おもねらずに自分ができる恩返しをするのが良いのかな、と思う。
ただし、特定のグループの特定の人に媚びる投稿をアップすると、当たり前だが、そのグループのその人の傘下だと思われる。
のびのび誰とでも交流をするのがSNSを行う目的なので、避けるようにしている。
 
最近、FB上でも遠回しな人様の悪口を見かける。
皆思慮深いからか、遠回しだ。
でもFB上で緩くつながっている特定の誰かの悪口なのだ。

「たぶん、私も悪いの。誤解させるようなことしちゃったんだと思う。ちゃんと反省しなきゃ」
的な。
もちろんみんなこぞって書き込む。
「〇ちゃんは悪くないよ!」
「かわいそう~。そんなの縁切って当然だよ!」
 
・・・これは新手のイジメか?仲間外れの始まりか?
緩くつながったFB上のグループ内で、この手の悪口はあっという間に拡散される。
「これって、〇ちゃんのことだよね」
「そういえば、私もこのあいださあ」
このままおそらくこのターゲットAはグループから見限られるだろう。
ある意味最初に言いだした仮称Sの戦略勝ちだ。
 
四面楚歌作戦 と名付けよう。
 戦略的には素晴らしいと思う。
けど、私はそんな関係遠慮したい。
言いたいことがあるなら直接言う。直接言えないなら口をつぐむ。
 
も一つ面倒なのが、自己卑下投稿(誉め言葉強要バージョン)
ツイッターの笑い話
「ブスすぎてツラタン」
と似たようなことはFB上でもある。
毎日素晴らしく素敵に作りこんだ自撮り写真を上げる人がいる。
自己卑下の一言とともに。
「体重が人生MAXで顔がまん丸!」
みたいな。
 
もちろんみんなこぞって書き込む。
「そんなことないよ!かわいい♪」
「スタイル良すぎ!」
 
だれも「マジ太ったね」とは書き込まない。
漫才のボケとツッコミのごとく、セリフは決まっている。
たのしい、それ?
 
やっている側も面倒だし、内心「ウザ」と思っているから、やめた方が良い。
 
自己卑下しない、と矛盾するようだが、文末のオチは自分を落とすのが良い。
他人を貶めても誰も笑えない。落とすなら、自分自身。
ただし、誉め言葉を強要するような、意味のない自己卑下とは異なる。
読んだ人が気まずくならない、誉め言葉を強要しない、笑える絶妙のポイントを狙って落とすこと。
 
 
どうでもいいのだが、
先日自分のことを「信楽焼のタヌキが風呂敷を背負ったような恰好で」と表現したが、
誰一人否定の言葉をくれなかった。
万人が納得する自分オチ表現では、オチにならない。
 
 
 
 
 
 
 

あきんど、旅に出る。すぐそこ。

お友達から「今日ひまー?」と連絡がきた。

暇だが、ひまじゃない。


 今日のあきんどにはノビー(_ _).。o○(´-`).。oO・・・とする、という重大な任務がある。


たとえヤリが降ろうと「この藤吉郎、決して殿のおそばを離れませぬー!」という勢いでストーブとソファにへばりつき、この任務を遂行せねばならぬ。

そんな任務遂行中の我にどこへ行けと??


「電車の旅」とか「もみじの天ぷら」とか言われても、そんな誘惑に負けはせぬ。

てか、「もみじの天ぷら」って、心惹かれんフレーズやな。

うまいんか、それ??

 

だいたい、目的地

箕面

って、どこやねん。読めんし。

 

ノビー(´-`).。oOと任務遂行しつつ、Google先生に問い合わせ。


おお、滝があるでござる。

窓を開ける。意外とぬくいでござる。

 

致し方なし。


ノビー(_ _).。o○の任務を滝のそばに変えるでござる。

 


 藤吉郎、臨機応変が信条でござる。

 

 

なんと、ええトコやん。人がおらんし。

f:id:harusank14:20170313081830j:plain

 

 

 


 滝に虹が出てるやーん。

f:id:harusank14:20170313081901j:plain



箕面(みのお)。

 観光地がこんなに閑散としててここの者共の暮らしは大丈夫か、と不安になる。

どうやらもみじの時期には芋洗いのような混雑らしいが、それ以外の時期はこんなものらしい。

 

俳句の季語「山眠る」を思い出す静けさでなかなか良い。

f:id:harusank14:20170313081954j:plain


 珈琲やの片隅で箱に入れられたぬいぐるみが異土のかたいのようでいっそう憐れを誘う。

f:id:harusank14:20170313082011j:plain


そんな中、異彩を放つカレー屋さん。


f:id:harusank14:20170313082028j:plain


 朝挽きカレーってなんやねん。


・・・驚きの美味しさでございました。

 眠っている山も目覚めるスパイシーな香りとコク。
複雑な香りのコラボレーション。
おお、これぞ、まさしく、香りのハーモニー!!!!とか神の雫あたりで、言っていそうな、お味。

f:id:harusank14:20170313082159j:plain

付け合わせのチャッツネっぽいものも、美味しい。


このために再びこの地を訪れても良い、というお味。

 

 

梅田から25分。
こんなところに、こんなものが。


 大阪、なかなか奥深し。

あきんど、空を飛ぶ。

タマシイと肉体が乖離しやすい人と、そうでない人。

 

人には2種類いる。

 

タマシイと肉体は乖離する。

元々、別のものなのだと思う。

ただし、全く別のもの、ではないが。

 

タマシイは肉体という不自由にいる事で、多くの学びを得る。

不自由さを感じる事でしか、学べないものがあるのだと思う。

 

肉体を持ち、自分の肉体と向き合い、酷使し、時には大切にし、何かを掴む。

 

体験、体で験す(ためす)ことからしか掴めないものが、ある。

 

人はこの不自由さの中に、自由を見つける。

有限の中の無限。

おそらく、不自由を通してしか掴めない、自由、がある。

日本の「道」はこうして、作法や演武といった形式の中で無限の宇宙を表現するに至ったのだと思う。

 

 

が、時に、この肉体の不自由が、心まで不自由にしてしまうことがある。

 

縛られる必要はまるでないところで、囚われ、心が身動き取れなくなってしまうことがある。

よくよく見つめてみると、大抵縛り付けているのは自分自身の心だ。

自由なはずの心は気がつけば自分自身が縛り、不自由になっている。

 

常識だったり、世間体だったり、義務感だったり。

 

みんな本当はどうすれば自分の心が解放され、自由になるかを知っている。

 

これは非常識になれ、とか、義務を果たさなくてもいい、という意味ではない。

それを自分が踏み出さない言い訳に使うな、という意味。

 

 

f:id:harusank14:20170312222724p:image

 

タマシイはもっと自由になれる。

人はみんな、空を飛べる。

 

 

 

 

 

 

汝の名は、おかん!

汝の名は、おかん!!


先日友人に、「おかんってどうしてあんなに非論理的なんだろう」・・と愚痴ったら「それは、おかんだから!」と返された。

そう。おかんだから。

おかんとは非論理的で支離滅裂な生物なのだ。
昨夜別の友人から電話があった。「おかんってどうしてあんなに理不尽なんだろう」と。
私はもちろん、返した。
「それは、おかんだから!」

おかんとは理不尽な生物なのだ。

...

ちなみにどこら辺が、と思うだろうが、
日々の言動が。

おかんは、息をするように、非論理的で、理不尽で、支離滅裂なのだ。

たとえば
「二人(一人だと)だと、ご飯が余って仕方がないの、食べててくれん・・」
と言われ、ちょっと無理して片付けたら(腹へ)、

「まあ、あんた!そんなに食べてどうするん!?」

と家の裏に毛虫がおった、くらいの勢いで、責め出す。

・・・あんた、数分前に片付ける為に食べろとゆうたやないけ・・・。

ということを、日常茶飯事で起こす。


そもそもおかんは権威に弱い。

「先生がこういったから!」

NHKがああいったから!」
「新聞がこういったから!」

が意見の指針になる。

ちなみに、「先生」とは決して政治家のことではない。

「その道の権威」のこと。
「〇〇の専門家」が大好き。

 

うん。まあ、その道の専門家の言葉は重みがあるけどさ。



ちなみに。

その大好きな専門家の言ったことですら、すぐに忘れ、他の専門家の言葉で上書きされることもある。

とつぜん。

数日前と真逆のこと をあたかも自分の意見のように言い出す。
前の意見は上書きされているので、もちろんおかんの中では抹消され、残っていない。

 

ある意味、ハムスターのようだ。

(ハムスターって餌食べている最中におどかすと、餌をポロリと落とし、餌を食べていたことを忘れて別のことを始める)

何の前触れもなく、唐突にパニックになる。
巨大地震に備えてシェルター作る!
とか訳わからんことを唐突に言い出す。
私はこれを
間欠泉、と名付けた。

http://www.city.suwa.lg.jp/open_imgs/info/0000020773.JPG



そう、世のおかんは間欠泉、なのだ。
唐突に熱湯と冷水を交互に吹き出す。

これをタライでよけて知らんぷりしようものなら
今度は噴火する。

被害甚大。

そんなわけで、タライとミノガサを駆使しつつ、

やけどしない程度に浴びる、のが良い。

 

そういや、昔、亭主元気で留守がいい、ってCMがあった。

あれも真理だが、

これも、真理。

 

おかん、遠くで元気がいい。

あきんど、迷子になる。

梅田に行く度に迷子になる。

・・・なぜ、案内板が途中でなくなるんだー!!!
梅田駅から東梅田駅へ行くために案内板を見つつ歩いていたら、途中でなくなる。

えっ?なに?あとちょっとだから自力で行けるでしょ、的な、昔のナビの「目的地周辺へ到着しました。ナビを終了します」的なやつなのか?

こっからが、知りたいんじゃ~~!!!

しかも、最初は「東梅田」って書いてあったものが、最後には「谷町線」と表示を変えるなよ。だったら、最初から「谷町線東梅田駅」って書いてくれよ。

梅田地下街は魔窟ですか!?

JR梅田駅付近から矢印通りに御堂筋線梅田駅に向かったら絶対、倍の距離歩かされた気がする。
これは大阪へ来た人をもれなく健康にさせるための大阪府の陰謀なのか?

梅田周辺はひどく変則的な形で、覚えにくいのに加え、案内板に陰謀がある。
よそモンはもれなくその洗礼を受けるであろう。
これが「関西の人間は閉鎖的」と言われるゆえんか、もしや。

受けてたったろうじゃないの。負けへんで~!!!
まずは、この魔窟攻略じゃ。

f:id:harusank14:20170307070626j:image

 

どうでもいいが。なんだって三番街の隣が17番街なのだろうか。

間の街はどこ行った?
魔窟に隠れているのか?

漢数字とアラビア数字の間の埋められぬ溝はなんだ。

数字の字体は置いておいて、三と17の共通点といえば・・・・。

はっ。「素数」。
すごいな、大阪。
なんて知性あふれる問いかけを府民に投げかけるんだ。

てくてくてく。

なぜなんだ!!!!

もひとつの街が、「32番街」って!!!!!
ここは、31番にするだろう、普通!!! 
素数でつなげるだろうよ、大阪。
なんの、思惑が隠されているんだ?


日々、異文化コミュニケーション。

 

 

 

ナニワあきんど1年生始動!

こんにちは。

2016年の8月に突然転勤を命じられ、人生初、大阪住まいを開始しました、不惑乙女(w)「ナニワあきんど」です。

 

支社開設するから行ってこい、と。旅行で1度しか訪れたことのない地へ。

 

まずは自己紹介。地方出身で東京のベンチャー企業の管理部門で働いておりました。2016年8月まで。
7月末に初の支社を大阪に開設することになって、管理部門の為その準備に関わっておりました。誰もいない支社に事務所開設に大阪へ行ったのが運の尽き。

そのままあきんどが配属されることになりました。

誰もいない、一人ぼっちの事務所に。一日中、誰とも話さない、そんな日々の始まりです。

 

東京では、不惑過ぎて、連れ合いもおらず、仕事も慣れてる、とくれば、プライベートは飲んだくれ生活でした。

自分のお金で遊んでるんだも~ん。日本経済に貢献してるも~ん、と言い訳しつつ、のんきな生活です。

基本は引きこもりの為、海外旅行に行くわけでもなく、特別お金のかかる趣味があるわけでもない、不惑引籠り乙女、あきんど。

週末に一歩も外に出ない、ということにある意味信念を持っておりました。

月曜日の朝、家の戸を開ける瞬間に「ふっ。一歩も出なかったぜ」と内心誇る程度に。

 

そんな、不惑引籠り乙女あきんどが、転勤。自分の巣穴が大好きなのに!!
知らない土地に突然放りだされ、泣いたり、笑ったり、引きこもったり、突然根性出したししながら、立派なあきんど目指して、がんばるブログです。

よろしくお願いします。